大垣 三塚 宝光寺  
マハー・チャイトゥヤ・サンガ
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〒503-0808 大垣市三塚町1081

心は常にころころ=諸行無常

自信を纏う あなただけのステージを見つける
ほとけさまのお話
お釈迦さまは、身を養う食のほかに、心やたましいの食物について明らかにされています。
そんな、心の栄養のお話をYouTubeに綴っています。
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令和六年 やくどし ほしまつり ご祈願ご祈祷随時受付                                  
甲辰三碧木星の開運はじめ

令和六年・好運祈祷札

当山にてお受けになれるお札(ご祈祷)

12月2日よりご祈祷がすでに始まっております。

 

・星祀り祈祷札 今年一年の役目を授けてくださる星札

・厄除け祈祷札 
    特別な役目を受ける年その役目の成就のご守護札

※厄年表☟を参照し生まれ年をご確認ください。

 

ご志納めやす 星祀り祈祷札 千円 本厄前厄祈祷札 六千円 

       大厄祈祷札 五千円 小厄祈祷札 四千円

 

家内各所のご守護札

・玄関 内札 家内の安全  ・ 外札 外来の安全

・キッチン札 火元安全   ・トイレ札 排泄安全

 

・家相悪所札 悪相退散  ・恵方〈家族団欒〉札 

・いじめ守り札 人間関係除災  

・息災延命の妙符  ・恵方受札〈悪情報を駆逐〉

・穀霊蘇生妙符〈地所清浄・土壌活性〉

 

ご志納めやす 各札五百円 穀霊蘇生妙符二千円

令和六年 役〈厄〉年の方

(誕生日が元旦〜2月3日の方は前の年で見ましょう)
厄とは役目を担うことです。

☆本役 前役 よければ新たな運勢が立ち上がる

男 昭和40年・41年・58年・59年   平成13・14年  

女 昭和40年・41年・平成4年・5年・18年・19年    

 

☆大役 八白土星の方 よければ蘇生して開運招福

令和元年・22年・13年(女)4年(男)昭和58年(女)

昭和49年・31年・22年・13年・4年・大正9年  

       

☆ 大役 三碧木星の方 よければ八方塞り八方好しに転ずる

令和6年・平成27年・18年(男)・9年 ・
昭和63年・54年・
45年・36年・27年・18年・9年    大正14年 

                

☆ 小役 六白金星の方 よければ方向転換により開運招福

令和3年・平成24年・15年・6年

昭和60年・51年・42年・33年・24年・15年・6年・大正11年

 

☆小役 九紫火星の方 よければ善い処と人を得る

平成30年・21年・12年・3年・
昭和57年・48年・39年・30年・21年・12年・3年・大正8年

 

☆小役 四緑木星の方 よければ破れ転じて好運を得る

令和5年・平成26年・17年・8年・
昭和62年・53年・44年・35年・26年・17年・8年・大正13年

厄とは役なのです

役目をしっかり果たす勇気を得るのが厄年祈願の本来の意味

人には与えられた役目があります。
人生には毎年違った役目があります。
そして、厄年と呼ばれる年は特別な役目の年。
その役目を果たすならば、
人生躍進する、チャンスの年。
厄は役と裏表です。

八方塞りも同じです。本来は八方善しとなって花が咲く年。
偏見、人のせいを抜けられないと八方塞りになるのです。
祈り方次第で八方善しを得て、自分の世界を広げるチャンスの年です。

佛教ってなんでこんなにややこしくなったの?
とってもシンプルで頼りになる道
そう思える本当の佛教フリークになる

当山のいわれ・この町のいわれ
を仏典にみる

当山、大垣市三塚町宝光寺というお寺のこと、
この町のことを、
仏典にひもといてみてみたいと思います。

お釈迦さまの最後の旅路が説かれている「涅槃経」
の中に、
(涅槃経は初期経典としての涅槃経と、
大乗経典としての涅槃経の二つあります。
ここでいうのは初期経典の涅槃経です。)

マカダ国の阿闍世王が隣国を攻めたいが釈尊のお考えを聞きたいと諮問する場面が出てまいります。
ここで、釈尊は「専制国家(独裁政治)」と「民主国家(合議政治)」とを引き合いに出してお答えになります。これは諸宗教対話や戦争(政治)と宗教を考える貴重なテキストになりますので、いずれしっかりと研究をして明らかにしたいと思いますが、結論のみ先立てば、教誡によってこの隣国への侵略を踏みとどまらせる抑止力を発揮します。

その回答を出す上で釈尊は、「集団が衰退しない条件」として7つ挙げておられ、それを一つ一つの条件をその隣国は満たしているかどうかを弟子に確認します。じつはその条件をその隣国に指導したのはお釈迦さまご自身だったのです。そしてその指導通りに今もなお守っているということを確認されることで、阿闍世王の諮問に答えるという正しい姿勢を取られました。
その条件の一つにこの町・この寺のえにしをみました。


その国は、内外の霊域を敬礼し、尊重し、尊崇し、供養し、それらの霊域に対して与えられ、かつてなされた供物を廃止することがないうちは、繁栄のみが期待され、衰滅することはないであろう。
とあります。

ここにある「霊域」とは
インド語で「チャイティヤ」です。

そして、チャイティヤは「宝塔」のことでもあります。
当時の「チャイティヤ(宝塔)」とは、
・死者を記念する「塚」
・塚の目印として植えられた樹木のある区域
・塚に植えられた樹木自体である「霊樹」
・その樹木に住まう守り神「樹神」
という様な意味で用いられていました。

この教説を読んだ時、私はまさに当山と三塚のことではないかと背筋が伸びる思いでした。
さらに、釈尊は先祖や祖先に対しての正しい供養を行うことを勧めておられ、その一族の繁栄と衰滅はこの霊域にどう向き合っているかを見ればわかると教え戒めていたことも改めて確認できました。

当山の北側にある犬坊塚とモッコク樹そして宝塔を祀る寺、その区域に育つ草木どれをとってもこの教えに示される処であると学びました。



佛教が尊ばれるべきわけ

正しく佛教を学び行う
学解と修行

さる大学生の不祥事、それに対する大学自体の対応問題が叫ばれ、第三者委員会の調査報告書が公開されました。
その中で、「おや!」と聞き流せないとても貴重なフレーズがあります。
それは、「不都合な情報には目をつぶり、得られた情報を自分に都合よく解釈し、自己を正当化するという姿勢」として、その問題点の根拠を指摘しているところです。
これは、佛教が中心において最も重要視する人間課題として言い当て、佛道とはここに陥る自分や組織を戒めていかになおし(修)ながら、あゆむ(行)かを目的としているからです。

佛教はいかなる教えも、いかなる諸仏諸菩薩諸天もすべては、人の「自分に都合の悪いことは無かったことにし、都合の良いことだけを自分として形成する」という意識の形成をいかに抑止し、よく調った自分、よく調った集団を維持するか、そのために存在し見守っているのです。

ここに、全ての正しさの原因があり、また、ここにすべての苦悩の要因があることを覚られ、これを中心に、あらゆる人・時・処に応じて解き尽くされたのが、さまざまな経典法門あるわけなのです。










↓ 鈴木先生の講座 第4講無事終了

講座開催

鈴木先生をお迎えし、仏教の原点に、そして原典にみる
諸宗教対話について明らかにします。

・第4講 12月4日 12時半〜15時40分

日蓮宗宗務院(東京都大田区池上)にて、
会場参加とオンライン参加のハイブリッド開催です。

ご参加ご希望の方は、mailにて、
ご住所
僧侶の方は、所属宗派 寺院名
一般の方は、ご職業

を添えてお申し込みください。

その他、社会的になさっている活動がありましたら、
お聞かせください。

tomoniiki tomonisakaeru
諸宗教対話のためのお寺

自分らしく生きるために

自分らしく、もっともっと生きたい、それを叶えたい。
それを妨げているのは自分だった。
どんなに長い道を歩み続けても、
どんなに努力をしても、
この気づきに至らなければ
本当の自由は得られない。

お釈迦さまはこれをお覚りになりました。
これが仏教の入門であり
ゴールでもあります。

今より幸せになるために

今の現状に満足している人には、仏道は無縁です。
もっと良き人生を送りたい。
そう心から願う人のためにこそ仏道はあります。



ほとけみち

どちらへ向かっていますか?
元気になる、頑張る、今よりよく働けるようになる。
それをあなたのからだと心が望んでいますか?
いろわず・つくろわず・もとのままへもどっていく。
そのため為すわざがほとけみち。

からだとこころが求めつつ安心する道です。

いろわず・つくろわず

   実は、その何か手をかけよう
   つくろってよくしよう
   それが、苦のもと。
いろわずつくろわない、もとのままへと戻す、その方向へ。

名前はとても重要です

おおよそ、巷に出回る姓名鑑定は、逆に凶名を付けてしまう。
という事実をご存知でしょうか?

姓名は生命のうつわです。
こころとたましいはそれに従い、
人格の形を作り、人生を形成します。
整った器ならばよく整う。


それなりの姓名鑑定でもおおよそ、
その整い精度は50%。優先順序はチグハグ。

私が与えられた姓名鑑定の精度は90%、
人生の自由度が高くなる。
だからあえてこうしてお薦めしているのです。


ぜひ吉名を得てよく整い満たされた人生を。

名付け相談もお気軽に、

人事鑑定

組織において最も難しく、そしてとても大切な人事、
誰を採用し、誰にどんな役割を与え、どんな権限と業務規定を与えるのか、
組織はそれ次第、と言っても言い過ぎではないでしょう。
雇ってみなけりゃ分からない、履歴を見て、その人柄を見て決める。
それも危うい話です。
好業績を上げる組織やその管理者が必ず周りに配置している不思議な法則、人材を豊かにする法則を用いて、
そこをお手伝いいたします。

人生の成功は、よく自分を転じる事です
その方法は、4つの環境条件を整える事です。

ご相談ください。
人生はよく転じて、さいわいを得ることができます。

方向性が逆だといくらやっても、
真面目にやればやるほど逸(そ)れていきます。

心のケア

心は血脈の質によって調う

心が血液やその流れの脈、血管の質によって調うなんて、にわかに信じ難い話ですよね。特に坊さんが言うと怪しさが増します。しかし、体験者は皆「そうだそうだ」と同意します。
思いのほか、心は身体の影響を受けています。
当山ではこれに基づいた心のケアを行なっております。
薬を飲んだり、難しい修行をしたりするのではありません。
ゆったりとしたセルフケアです。

on-line マントラレッスン

今やもう、宗教はセルフの時代になりました。
しかしこればかりは見よう見まね、独学では成し得ません。
一見同じことをやっているようで、その験(しるし)が違ってきます。
自分の身心への伝え方の順序があるのです。

読経は文字が読めれば読めるものですが、その読み方は、

仏教伝来以来、伝統的に口伝えで受け継がれてきた読み方があります。
それをお伝えしています。

お経は真実の言葉(サティア)です。正しく読むほどその生命力が得られます。

マントラとはマンダラの言葉、マンダラとはよく整った世界のすがたです。
ご希望の方はメールにてお申し出下さい。

得聞此経 六根清浄

大垣 三塚

七面山 宝光寺

救われる人に共通の特徴があります。

岐阜県大垣市三塚町にある日本仏教のお寺です。日本仏教は古代から今日に至るまで、印度、中国、日本が育ててきた教え。その貴重な情報を用いて、一人ひとりの持ち味を大切にし、大きな安心のある生活のために、日本仏教の伝統的な作法で、講話し、毎日お祈りを捧げ続け、またご相談をお受けしています。


毎日の生活が楽しく思える、「幸せの予感」ある日々、そんな生活についてを考え続けています。

生活とはなんでしょう? それは「生活」という言葉の中に秘められています。

仏教はすべて衣食住という生活の基盤から離れることはありません。それが昇華されて基本的修行が営まれ尊崇対象が調えられてきました。
日本中の家族が生活という言葉に託された生活の様相を共有することが宝光寺の使命です。

人事やモノの見極めにおける、仏教と儒教と日本古来の信仰のなかに伝わる不思議な知性があなたを救われる人にします。
ぜひご相談ください。

神人調和

犬坊丸尊霊

工藤祐経の嫡子。約800年前しばらく当地に住み、大塚の神様に武運長久を祈り、それが叶いのちに伊藤祐時となって活躍する。
日蓮聖人の一番弟子日昭聖人の叔父、妙一尼の弟。

七面大明神

元禄四年身延山よりご遷座された龍女の神様。鬼門を閉じて七宝を開く霊験で人々を救済する。
豊穣・子宝・七難即滅七福即生の神様。

産土 大塚大明神

大塚とは誰でしょう。当地を長くお守りくださってきた産土の神さま、多くの人がこのお寺に休息を求め、魂の潤いを明神から頂き、ほとりに湧く清水にその身を潤したことでしょう。

第十五代 潮叡

当山生まれ当山育ち。日本仏教では能力才能がなくても成仏できる、幸せになれると説いています。これを誰が聞いてもわかるお話にしてお届けしています。
人事百般、商業・売買・生活環境向上、なんでも相談お受けしております。

第十五代 潮叡

当山生まれ当山育ち。日本仏教では能力才能がなくても成仏できる、幸せになれると説いています。これを誰が聞いてもわかるお話にしてお届けしています。
人事百般、商業・売買・生活環境向上、なんでも相談お受けしております。

メッセージ

当山にご関心いただく皆様へ
お釈迦様は自分の目の前にいる人々ばかりではなく、二千年以上後の時代を暮らす我々にとっての救いも説かれました。

当山はお釈迦様の教えが日本の知性と調和しながらも、その根幹を見失わないで、現代社会に適応した、実際に人が人生を豊かに豊かにしながら歩むための救いの道をお教えする実践道場です。

仏教には、絶対にこのこと無くして仏教ではない。という話題があります。
それを知る機会を得ずして、どんなに修行をしても、全く仏道の成果は身の上に起きて来ません。
ぜひ、ご一緒に学び、ご自分自身に適応した修行を見つけて楽しい仏道を歩みましょう。


釋潮叡 当山十五代当代山主
昭和44年大垣生まれ。幼少より僧風修行を積み、15歳で身延山久遠寺へお給仕に上がり、立正大学仏教学部卒業を経て、日蓮宗から僧侶としての認定(僧籍・僧階)を受け、今日に至る。
舞台演劇・学校教育・自然治癒療法などの専門家に従い、法華修験遠寿院荒行堂を満行し、学生期より東洋思想、九星気学風水、日本仏教思想の就学を深めるとともに、世界で活動する宗教者の現場の体験を多く聴き、宗教対話、宗教体験を重ねてきた世間を漂う旅を経て、本当の仏教そして仏道に至る。これが、教団的宗教とあまりにも乖離している現状を憂いながら日々仏道に励みならが人から打ち明けられる苦悩や不安に対するお釈迦さまのお諭しを共有しながら人助けができている。


現代宗教研究所岐阜教化センター長
岐阜刑務所教誨師
日蓮宗国際交流会会長
Nたま(名古屋NGOセンター主催のNGOスタッフ研修)18期生

恩を忘れては仏法にあらず

当山は、織田信長の父君信秀公の時代、天文十年〜十六年のころ大垣城の北東の砦として創建されました。北の通りからお寺の横を通る道は美濃路であり、大垣城下へ入るはじめの要所でした。

不思議なことに当山から南西の中心線を引いていくと裏鬼門に宝光院があり、養老の滝をかすめ紫香楽宮を通って奈良平城京の中心を貫き、元薬師寺があった観音池に至ります。この鬼門線から先人は何を汲み取ったのでしょう。

遡って壬申の乱の頃、西濃地域は大海人皇子(天武天皇)の乳母や巫女を太安万侶の父太品治が養ったところとされます。その孫聖武天皇はついに大仏殿を日本に出現させました。

江戸期元禄四年、伝馬町實相寺住職充足院日東上人は身延山から七面大明神をご遷座し、城主戸田家の祈願所として当山を生まれ変わらせました。犬坊丸はさぞお喜びのことだったでしょう。

近代となって、天台座主の弟子覚圓上人は倶舎論の講師をつとめる学者でありながら、荒行を修し、運命学と仏法と神秘の力を合わせ人々の身の病、心の病、商いを治める先達を育て「人尊きがゆえにところ尊し」の精神で社会に尽くされました。

講座「ひじりみち」

儒教と仏教にある叡智と情報を自ずから活用して自ら活路を開いて幸せになる人、そして他人を幸せにする人、
いわば、これまでお坊さんがやってきた事を習って
自前でできるようになりたい人の講座です。
ひじりは「聖」です。誰よりもよく聴く力を持つ人。
人ばかりではなく天地自然の声を聴きます。

ご関心の方は、ぜひお問い合わせください。

ご相談にお乗りしております

日常生活における苦悩の解消、また、もっと生活を向上させたい、
そう願われる思いに寄り添い、
良い明日を築くご相談をお受けしております。
お仕事における優良化対策、売上向上、組織の充実なども。

どこからでもいつになっても、
その気にさえなれば必ずや人生はひらけます。

人生相談、生活向上、人事百般、お問い合わせください。

アクセス

8時開堂 17時閉堂 自由参拝

御用の際は、必ず前もってお約束願います
突然のお越しはご遠慮ください

宝光寺 503-0808 大垣市三塚町1081
大垣駅北口バス停 3番 ソフトピアジャパン行き
                        2番 岐阜羽島駅行き

乗車時間 約13分  

三塚町 もしくは イオンタウン大垣 下車 徒歩 5〜6分

ソフトピアジャパン行き 大垣駅時刻表  ←クリック

岐阜羽島駅行き 大垣駅時刻表  ←クリック

車でお越しの方 
名神高速道路 安八ETC出口より14分 大垣ICより15分 大垣西ICより13分

mail:taiw@ho-ko-ji.com

✳︎お気軽にお問い合わせください。

毎日が美味しくなる梅干しです

「対話」という出逢い

あらゆる対立・決別・葛藤を
根本的な解決に導く、最後に残された賢明な秘策

世界規模で展開されてきたグローバル化により、互いに異なる人種や民族、思想や宗教、文化や文明を所有する人間どうしの密度が濃くなり、より共存し、共生することへの意識が高まってまいりました。そして、コロナウイルスがやって来ました。人間同士の格差というものが逆にコロナを近くへ引き寄せました。

私たちは、今、ある一つの問題によってあらゆる苦悩が引き起こされていることに気づく時がきています。

文明、宗教、価値観、倫理における相互の対立は、人間の尊厳を脅かし、世界の各地で衝突を発生させています。この不安を解決し他者に対する尊厳性を再構築する為に共有すべきものとして採り上げるのが「対話」に他なりません。この「対話」の価値に、我々人類が広く且つ深く覚醒することが、人間相互の深刻な対立をより深い共存共栄に導くきっかけとなります。「対話」は人間相互の関係性において生じるあらゆる対立・決別・葛藤を根本的な解決に導く為の前提条件であり、賢明なる戦いの秘策となり得ます。これまでの近代文明社会では「対話」に関心が示されることはありませんでした。人類は腕力→道具の開発力とその使用能力→火力→情報力→知恵力と戦い方を変遷してきました。しかしこのどれもが「相手を打ち負かし自分が勝つ」という着地点、非対称的結果しか導き出せてきませんでした。真の智慧は「相手の価値と尊厳をその本人以上に高くする」ことにあります。

対話というものがこれまでうまくいかなかった理由は明確です。それは能力によって人材判定をするということに対して全く意識を向けてこなかったことです。

近代思想がもたらした「討論(ディベート)」をはじめとする知恵の戦いは、自分の存在が相手より優れていることを主張する能力に長けているものに勝利を与えるというルールによって支えられています。これによって一方で苦悩に襲われる人を必ず作ります。それを了解承認してきたわけです。
これが、根本的な誤りを引き起こし、現代社会において深刻な対立を発生させる原因となりました。「対話」の目的は「討論」とは異なり、文化、文明、思想、宗教、政治、教育、経済、経営、福祉等のあらゆる分野において、相互の関係性から生じる諸問題そのものを価値に変えるシナリオを導き出します。今後、人類全体が希求する課題こそが、あらゆる分野に発生する深刻な対立を対話によって解決する事であり、その実現に向けた取り組みが、多様な学問の間で真摯に模索されています。そして宗教者に求められる課題こそが、諸宗教対話共同体を設立する事であり、諸分野における対話のための基本的な智慧のモデルを、社会に提供する事にあるのです。

当山は、「対話」をあらゆる出逢いのお伴とすべく、できるだけ多くの人と共有するために何が必要か、どんな取り組みをすべきか日々思索しております。

師であり父でありました

合掌。冬至の候、御礼とご挨拶、ご報告申し上げます。
宝光寺先代でありました、師父本壽院日敬上人は十一月二十七日遷化されました。改めまして深厚のご恩に今一度感謝申し上げます。

昨年の今頃は自由闊達であった毎日が、腎臓の弱りから足や腹部がむくみ、法体弱まり、すこし不自由になり、幾度か入退院を繰り返しながらも、むくみが取れれば元気ではありました。九月から十月にかけての入院の際に、主治医より透析の話があり、十年若ければ間違いなくお薦めするが、その大変さと効果とを考えても難しい。ご本人やご家族で決めてくださいとのこと。近代医療を自ら退め、もう病院はいいと申し、山内書斎で静かに過ごす日々となりました。夫婦の私たちと特に孫の大祐が加わってくれて、寺族一同そばで見守る毎日、人の死に様、僧侶の死に様を身を持って教示下さいました。現代社会は中々師匠や親のお給仕が出来ない時代、とても有り難く、お徳の一分を頂戴し、最期の薫陶を承りました。

十月末、御会式に炊いたお赤飯があることを知り、大好きでしたからお茶碗にいっぱい食べ、眠りに着きましたところ、水分補給とお手洗いへ行くのみの毎日が続き、一週間ほどして起きて参りまして、お粥を食べ、饅頭を食べ、色んな昔話、自分の思い、信仰理念を語り、また眠りに入りました。一週間ほどして再び起きて参りましたところへ、東京の田島伝師様からおこしが届き、あんなに硬いものを「うまいうまい」とバリバリといくつも食べ、とても満足そうで、お礼のお電話を掛けてお話ができたこと、とても嬉しそうでした。家族をひとりずつ呼んで話をしたり、二日ほどそれなりに元気で、床に横になっていても、そばに居れば子供の頃からの話、信仰の話、案ずるところの話を二時間三時間する。荒行をするために坊さんになったが、副伝師を勤め、身延山大学で学生に信念を語る事が出来たのは宮川先生のおかげ。小僧時代の母親代わりの庵主さんと親しくしていた庵主様の弟子の竹内上人、シュテフェンス法尼のこと。枕元正面に飾ってある絵画は、子供の頃よく釣りに出掛けた山あいの池のほとりによく似た風景で、いつも懐かしく眺めていたのです。牧場で生まれて子供ながらに両親の手伝いをした話、少年でありながら志願して海軍で訓練を受けた話、弟子入りして師匠に厳しく仕込まれ夜泣いていたら庵主様が来て自分の苦労話を語って励ましてくださった話、妻の幸子に苦労かけた話、このお寺へ来てお婆さんに厳しく仕込まれた話、自分が七面様のお給仕をするために先に幸子が入って待っていたという信仰的順序の話などなど、想いに任せて存分に語りました。そして、「これでも、一生懸命やってきた、どうだっただろうか?」と自分に問い、仏天に問い、弟子に問うたことは、最後まで誠実な信仰者である生き様でした。師父は自分に厳しくそれでいて人に押し付けずその人に合わせて待つ人でした。

最後に食べたのは娘から贈られた大好きなイクラと松前漬けの数の子でした。ほんの少しでしたがとても満足そうでした。

二十四日には孫娘が旦那さんと一緒にひ孫娘を連れて来てくれて、どんなに嬉しかったことでしょう。その夕方に大祐に手を引かれてお手洗いへ行こうとしましたが、たどり着けず引き返しました。翌日の朝は何とかして行けましたがそれが自力で歩く最後でした。その夜、七時半頃から潮叡がそばに居りますと、目を覚まして見つけ、手を握り、爛々とした目で見つめ、時折うなずき、時折手を引き寄せて自分の胸にトントンとし、時折眠りながらも、また爛々とした眼差しでうなずき、手を引き寄せ、繰り返すこと三時間を超えました。最後は自分の両の手を握りその中へ私の手を握り込み寝みました。深夜二時頃、水を所望されましたので、境内の湧き水を汲んで参り、ストローで飲もうとしましたがもう吸う力なく、お匙で「ああうまい」「ああうまい」とひと口一口美味しそうに飲みました。翌二十六日の朝、潮叡と大祐がそばに居りますと、目を覚まして二人を代わる代わる見て何度も何度もうなずきます。全く衰えのない透明で輝いた眼差しでした。それが何かを認識する最後でした。

昏睡となり一日半、全てを吐き出して置いていくように、みるみる体は小さくなり、二十七日十四時四十五分、静かに入る息を終えました。孫娘の卒業公演の舞台が始まる時でした。

身内で厳かに送る旨、叶うなら田島伝師様にご一読賜りたいこと、堀僧正に一言頂戴したいこと。それをこの社会状況ながら、何とか叶えつつ、また、多くのご縁者に最期の面を見てお別れしてもらうことも大事と考え、暦に従い十二月二日に葬儀と告別を定め、周りの強い勧めもあって自ら遺弟装束にて導き、約束の寿量品百巻と報恩読誦行をもってお送り致しました。小春日和というのでしょうか、寒風と土砂降りの夜から一変、暖かな日で御座いました。

嘆徳にも述べましたが、最期の最後まで日蓮法華祈祷加持の行者、摩訶止観の人でした。十乗観法最期の煩悩「離法愛」「自法愛染」に対して自らを厳しく律し、「知者に我が義破られずば用いじとなり」との祖訓を帯し、宗教と社会の安穏の一致、先の大戦の戦争責任と高度成長期の経済戦争の責任を、宗教者が謙虚になって諸宗教対話による人類最高の叡智を見出し成し遂げることを最後まで望んでおりました。これを師よりの遺命として受け取り、潮叡はじめ家族一同、来る新しい社会に役割を果たす宗教活動に尽くして参ります。生前中の父への御恩に感謝し、その御恩に今後は家族が代わってお応え申すべく、社会の役割を果たして参ります。まずは弔問、お供え、お声がけの御礼申し上げ、師父の最期をお伝え申し上げます。

初月忌の砌 大垣 三塚 宝光寺十四代潮興日敬 法子 十五代 潮叡 拝

諸宗教対話

宗教対話とは、異なる宗教を信仰する宗教者同士が互いに相手の教えを学びながら信仰を深めていく取り組みです。
この成果には眼を見張るものがあります。
「他の人々の宗教は尊敬に値する。他の宗教を敬うことは、自分の宗教を敬うことである。もしそうしないならば、人は自分自身の信仰を侵害することになる。自分の信仰ばかりを賞賛し、他者の信仰を中傷するならば、その人は自分の信仰に対する重大な罪を犯していることになる。調和のみが善である」
これはお釈迦様が亡くなってわずか300年ほどの時代のインドを治めたアショカ王の言葉です。
すでにこの時、仏教は他の宗教を敬い、そこから学ぶ尊い姿勢を得ていました。すでに大乗菩薩道が確立していたことがわかります。
これはお釈迦様のお言葉の中でも明らかなことです。
宗教対話は、宗教者ばかりではなく、一般社会の人間関係や組織の統率にも多くの豊かさをもたらしてくれる智慧があります。
ドイツメシェデの修道院本堂のこもれび
おひさまと大地と水と風に感謝して