当山にてお受けになれるお札(ご祈祷)
12月2日よりご祈祷がすでに始まっております。
・星祀り祈祷札 今年一年の役目を授けてくださる星札
・厄除け祈祷札
特別な役目を受ける年その役目の成就のご守護札
※厄年表☟を参照し生まれ年をご確認ください。
ご志納めやす 星祀り祈祷札 千円 本厄前厄祈祷札 六千円
大厄祈祷札 五千円 小厄祈祷札 四千円
家内各所のご守護札
・玄関 内札 家内の安全 ・ 外札 外来の安全
・キッチン札 火元安全 ・トイレ札 排泄安全
・家相悪所札 悪相退散 ・恵方〈家族団欒〉札
・いじめ守り札 人間関係除災
・息災延命の妙符 ・恵方受札〈悪情報を駆逐〉
・穀霊蘇生妙符〈地所清浄・土壌活性〉
ご志納めやす 各札五百円 穀霊蘇生妙符二千円
(誕生日が元旦〜2月3日の方は前の年で見ましょう)
厄とは役目を担うことです。
男 昭和40年・41年・58年・59年 平成13・14年
女 昭和40年・41年・平成4年・5年・18年・19年
☆大役 八白土星の方 よければ蘇生して開運招福
令和元年・22年・13年(女)4年(男)昭和58年(女)
昭和49年・31年・22年・13年・4年・大正9年
☆ 大役 三碧木星の方 よければ八方塞り八方好しに転ずる
令和6年・平成27年・18年(男)・9年 ・
昭和63年・54年・45年・36年・27年・18年・9年 大正14年
☆ 小役 六白金星の方 よければ方向転換により開運招福
令和3年・平成24年・15年・6年
昭和60年・51年・42年・33年・24年・15年・6年・大正11年
☆小役 九紫火星の方 よければ善い処と人を得る
平成30年・21年・12年・3年・
昭和57年・48年・39年・30年・21年・12年・3年・大正8年
☆小役 四緑木星の方 よければ破れ転じて好運を得る
令和5年・平成26年・17年・8年・
昭和62年・53年・44年・35年・26年・17年・8年・大正13年
講座開催
鈴木先生をお迎えし、仏教の原点に、そして原典にみる
諸宗教対話について明らかにします。
・第4講 12月4日 12時半〜15時40分
日蓮宗宗務院(東京都大田区池上)にて、
会場参加とオンライン参加のハイブリッド開催です。
ご参加ご希望の方は、mailにて、
ご住所
僧侶の方は、所属宗派 寺院名
一般の方は、ご職業
を添えてお申し込みください。
その他、社会的になさっている活動がありましたら、
お聞かせください。
今の現状に満足している人には、仏道は無縁です。
もっと良き人生を送りたい。
そう心から願う人のためにこそ仏道はあります。
実は、その何か手をかけよう
つくろってよくしよう
それが、苦のもと。
いろわずつくろわない、もとのままへと戻す、その方向へ。
おおよそ、巷に出回る姓名鑑定は、逆に凶名を付けてしまう。
という事実をご存知でしょうか?
姓名は生命のうつわです。
こころとたましいはそれに従い、
人格の形を作り、人生を形成します。
整った器ならばよく整う。
それなりの姓名鑑定でもおおよそ、
その整い精度は50%。優先順序はチグハグ。
私が与えられた姓名鑑定の精度は90%、
人生の自由度が高くなる。
だからあえてこうしてお薦めしているのです。
ぜひ吉名を得てよく整い満たされた人生を。
名付け相談もお気軽に、
救われる人に共通の特徴があります。
岐阜県大垣市三塚町にある日本仏教のお寺です。日本仏教は古代から今日に至るまで、印度、中国、日本が育ててきた教え。その貴重な情報を用いて、一人ひとりの持ち味を大切にし、大きな安心のある生活のために、日本仏教の伝統的な作法で、講話し、毎日お祈りを捧げ続け、またご相談をお受けしています。
毎日の生活が楽しく思える、「幸せの予感」ある日々、そんな生活についてを考え続けています。
生活とはなんでしょう? それは「生活」という言葉の中に秘められています。
仏教はすべて衣食住という生活の基盤から離れることはありません。それが昇華されて基本的修行が営まれ尊崇対象が調えられてきました。
日本中の家族が生活という言葉に託された生活の様相を共有することが宝光寺の使命です。
人事やモノの見極めにおける、仏教と儒教と日本古来の信仰のなかに伝わる不思議な知性があなたを救われる人にします。
ぜひご相談ください。
日常生活における苦悩の解消、また、もっと生活を向上させたい、
そう願われる思いに寄り添い、
良い明日を築くご相談をお受けしております。
お仕事における優良化対策、売上向上、組織の充実なども。
どこからでもいつになっても、
その気にさえなれば必ずや人生はひらけます。
人生相談、生活向上、人事百般、お問い合わせください。
世界規模で展開されてきたグローバル化により、互いに異なる人種や民族、思想や宗教、文化や文明を所有する人間どうしの密度が濃くなり、より共存し、共生することへの意識が高まってまいりました。そして、コロナウイルスがやって来ました。人間同士の格差というものが逆にコロナを近くへ引き寄せました。
私たちは、今、ある一つの問題によってあらゆる苦悩が引き起こされていることに気づく時がきています。
文明、宗教、価値観、倫理における相互の対立は、人間の尊厳を脅かし、世界の各地で衝突を発生させています。この不安を解決し他者に対する尊厳性を再構築する為に共有すべきものとして採り上げるのが「対話」に他なりません。この「対話」の価値に、我々人類が広く且つ深く覚醒することが、人間相互の深刻な対立をより深い共存共栄に導くきっかけとなります。「対話」は人間相互の関係性において生じるあらゆる対立・決別・葛藤を根本的な解決に導く為の前提条件であり、賢明なる戦いの秘策となり得ます。これまでの近代文明社会では「対話」に関心が示されることはありませんでした。人類は腕力→道具の開発力とその使用能力→火力→情報力→知恵力と戦い方を変遷してきました。しかしこのどれもが「相手を打ち負かし自分が勝つ」という着地点、非対称的結果しか導き出せてきませんでした。真の智慧は「相手の価値と尊厳をその本人以上に高くする」ことにあります。
対話というものがこれまでうまくいかなかった理由は明確です。それは能力によって人材判定をするということに対して全く意識を向けてこなかったことです。
近代思想がもたらした「討論(ディベート)」をはじめとする知恵の戦いは、自分の存在が相手より優れていることを主張する能力に長けているものに勝利を与えるというルールによって支えられています。これによって一方で苦悩に襲われる人を必ず作ります。それを了解承認してきたわけです。
これが、根本的な誤りを引き起こし、現代社会において深刻な対立を発生させる原因となりました。「対話」の目的は「討論」とは異なり、文化、文明、思想、宗教、政治、教育、経済、経営、福祉等のあらゆる分野において、相互の関係性から生じる諸問題そのものを価値に変えるシナリオを導き出します。今後、人類全体が希求する課題こそが、あらゆる分野に発生する深刻な対立を対話によって解決する事であり、その実現に向けた取り組みが、多様な学問の間で真摯に模索されています。そして宗教者に求められる課題こそが、諸宗教対話共同体を設立する事であり、諸分野における対話のための基本的な智慧のモデルを、社会に提供する事にあるのです。
当山は、「対話」をあらゆる出逢いのお伴とすべく、できるだけ多くの人と共有するために何が必要か、どんな取り組みをすべきか日々思索しております。
合掌。冬至の候、御礼とご挨拶、ご報告申し上げます。
宝光寺先代でありました、師父本壽院日敬上人は十一月二十七日遷化されました。改めまして深厚のご恩に今一度感謝申し上げます。
昨年の今頃は自由闊達であった毎日が、腎臓の弱りから足や腹部がむくみ、法体弱まり、すこし不自由になり、幾度か入退院を繰り返しながらも、むくみが取れれば元気ではありました。九月から十月にかけての入院の際に、主治医より透析の話があり、十年若ければ間違いなくお薦めするが、その大変さと効果とを考えても難しい。ご本人やご家族で決めてくださいとのこと。近代医療を自ら退め、もう病院はいいと申し、山内書斎で静かに過ごす日々となりました。夫婦の私たちと特に孫の大祐が加わってくれて、寺族一同そばで見守る毎日、人の死に様、僧侶の死に様を身を持って教示下さいました。現代社会は中々師匠や親のお給仕が出来ない時代、とても有り難く、お徳の一分を頂戴し、最期の薫陶を承りました。
十月末、御会式に炊いたお赤飯があることを知り、大好きでしたからお茶碗にいっぱい食べ、眠りに着きましたところ、水分補給とお手洗いへ行くのみの毎日が続き、一週間ほどして起きて参りまして、お粥を食べ、饅頭を食べ、色んな昔話、自分の思い、信仰理念を語り、また眠りに入りました。一週間ほどして再び起きて参りましたところへ、東京の田島伝師様からおこしが届き、あんなに硬いものを「うまいうまい」とバリバリといくつも食べ、とても満足そうで、お礼のお電話を掛けてお話ができたこと、とても嬉しそうでした。家族をひとりずつ呼んで話をしたり、二日ほどそれなりに元気で、床に横になっていても、そばに居れば子供の頃からの話、信仰の話、案ずるところの話を二時間三時間する。荒行をするために坊さんになったが、副伝師を勤め、身延山大学で学生に信念を語る事が出来たのは宮川先生のおかげ。小僧時代の母親代わりの庵主さんと親しくしていた庵主様の弟子の竹内上人、シュテフェンス法尼のこと。枕元正面に飾ってある絵画は、子供の頃よく釣りに出掛けた山あいの池のほとりによく似た風景で、いつも懐かしく眺めていたのです。牧場で生まれて子供ながらに両親の手伝いをした話、少年でありながら志願して海軍で訓練を受けた話、弟子入りして師匠に厳しく仕込まれ夜泣いていたら庵主様が来て自分の苦労話を語って励ましてくださった話、妻の幸子に苦労かけた話、このお寺へ来てお婆さんに厳しく仕込まれた話、自分が七面様のお給仕をするために先に幸子が入って待っていたという信仰的順序の話などなど、想いに任せて存分に語りました。そして、「これでも、一生懸命やってきた、どうだっただろうか?」と自分に問い、仏天に問い、弟子に問うたことは、最後まで誠実な信仰者である生き様でした。師父は自分に厳しくそれでいて人に押し付けずその人に合わせて待つ人でした。
最後に食べたのは娘から贈られた大好きなイクラと松前漬けの数の子でした。ほんの少しでしたがとても満足そうでした。
二十四日には孫娘が旦那さんと一緒にひ孫娘を連れて来てくれて、どんなに嬉しかったことでしょう。その夕方に大祐に手を引かれてお手洗いへ行こうとしましたが、たどり着けず引き返しました。翌日の朝は何とかして行けましたがそれが自力で歩く最後でした。その夜、七時半頃から潮叡がそばに居りますと、目を覚まして見つけ、手を握り、爛々とした目で見つめ、時折うなずき、時折手を引き寄せて自分の胸にトントンとし、時折眠りながらも、また爛々とした眼差しでうなずき、手を引き寄せ、繰り返すこと三時間を超えました。最後は自分の両の手を握りその中へ私の手を握り込み寝みました。深夜二時頃、水を所望されましたので、境内の湧き水を汲んで参り、ストローで飲もうとしましたがもう吸う力なく、お匙で「ああうまい」「ああうまい」とひと口一口美味しそうに飲みました。翌二十六日の朝、潮叡と大祐がそばに居りますと、目を覚まして二人を代わる代わる見て何度も何度もうなずきます。全く衰えのない透明で輝いた眼差しでした。それが何かを認識する最後でした。
昏睡となり一日半、全てを吐き出して置いていくように、みるみる体は小さくなり、二十七日十四時四十五分、静かに入る息を終えました。孫娘の卒業公演の舞台が始まる時でした。
身内で厳かに送る旨、叶うなら田島伝師様にご一読賜りたいこと、堀僧正に一言頂戴したいこと。それをこの社会状況ながら、何とか叶えつつ、また、多くのご縁者に最期の面を見てお別れしてもらうことも大事と考え、暦に従い十二月二日に葬儀と告別を定め、周りの強い勧めもあって自ら遺弟装束にて導き、約束の寿量品百巻と報恩読誦行をもってお送り致しました。小春日和というのでしょうか、寒風と土砂降りの夜から一変、暖かな日で御座いました。
嘆徳にも述べましたが、最期の最後まで日蓮法華祈祷加持の行者、摩訶止観の人でした。十乗観法最期の煩悩「離法愛」「自法愛染」に対して自らを厳しく律し、「知者に我が義破られずば用いじとなり」との祖訓を帯し、宗教と社会の安穏の一致、先の大戦の戦争責任と高度成長期の経済戦争の責任を、宗教者が謙虚になって諸宗教対話による人類最高の叡智を見出し成し遂げることを最後まで望んでおりました。これを師よりの遺命として受け取り、潮叡はじめ家族一同、来る新しい社会に役割を果たす宗教活動に尽くして参ります。生前中の父への御恩に感謝し、その御恩に今後は家族が代わってお応え申すべく、社会の役割を果たして参ります。まずは弔問、お供え、お声がけの御礼申し上げ、師父の最期をお伝え申し上げます。
初月忌の砌 大垣 三塚 宝光寺十四代潮興日敬 法子 十五代 潮叡 拝